母親が心筋梗塞で倒れた話
前回の続きになります。
※前回はこちら→母親が完全房室ブロックという病気で倒れた話
大元の病気は、心臓にある3本の太い血管のうち、1本が完全に塞がれた状態である心筋梗塞でした。
しかし、処置が無事に成功し、なんとか助かりました。
心臓の下の方まで血液が行かないため、心臓の房と室の鼓動が上手く出来ず、完全房室ブロックという症状がおき、そこからさらに心細細動など危険な症状が起きたのだろうとの事です。
取りあえず容態は安定しましたが、まだ狭くなっている箇所と、取りきれない血管の中に残った固まりが有る様なので、少し様子を見て、また検査を行う予定です。
昨日1/8(火)、仕事中に病院から電話が掛かってきて、筑波大学付属病院にお母さんの事を相談したとろ、心筋梗塞の疑いがあるためすぐに筑波大学付属病院に転院して処置をしたいとの事でした。
会社を早退し、そのままつくばに向かいました。
元々は1/10(木)にどういった処置を行って行くか相談する予定であったため、急の連絡にかなり戸惑いました。
16時頃筑波大学付属病院に到着早々、入院手続きを行い面会をしました。場所はHCU(High Care Unit)と言われる集中治療室で、さらに心配になります。
その後医師から、上記の疑いに対して、心臓カテーテル検査を行い、血管が塞がれていればその都度ステントと呼ばれる金属を埋め込み、血管を広げる対処まで今日中にしてしまいたいと説明を受けました。
心臓カテーテル検査は、腕や太ももの付け根の血管から管を通し、造影剤という液体を流してX線を持って心臓などの血管の状態を確認する検査です(素人ながらの理解で恐縮ですが)。
まれに、心臓カテーテル検査中に、血管の中にある固まりがはがれ、脳に流れれば脳卒中、心臓に流れて詰まれば心筋梗塞をお越し、200人に1人が無くなる検査という説明もありました。
ここで不安がMAXです。しかしやらなければもっと危ない状態ですので、もちろん了承します。
心臓カテーテル検査が始まったのは18時です。めまぐるしく少し疲れましたが、お母さんはもっと頑張っていました。
僕が待っていた部屋は、HCU患者の家族専用の控え室で、椅子が並んでいるほか何も無い所です。個室なのが唯一助かりました。
まず、妹と姉に電話し、「もしかしたらお母さん、今日死んじゃうかもしれないから、覚悟していてね」と伝えました。「死んじゃう」という事は承知していたのですが、改めて言葉に出すと、涙がこらえきれませんでした。
20時頃、処置室に呼ばれました。まさにドラマで見る様な場所でした。
心臓の血管1本が完全に塞がっている映像を見せられました。心筋梗塞の様を実際に映像で見ると、とても怖くなります。
心筋梗塞は発病してから24時間以内に処置しないと危ないと言われており、1月3日頃から症状があった様なので既に1週間程経っています。なので、処置が成功するかは保証出来ないとのことでした。
とにかく処置する必要が有るため、2時間程待っていて欲しいとの事で、控え室に戻ります。
晩ご飯を食べていなかった為、1階にあるタリーズコーヒーでホッドドックを食べたのですが、まさかその後夜中まで掛かるとは思っておらず、売店も閉まった夜中の病院で空腹との戦いでした。
後で知ったのですが、別の場所に軽食自販機があったみたいですね。筑波大学付属病院は広すぎて迷子になります...。
次に呼ばれたのは夜中の1時頃でした。
看護師さんに「処置が終わったので、一緒にお母さんを迎えに行きましょう」と言われました。
成功したのかしなかったのか、この時点では怖くて聴く事が出来ませんでした。
結果、詰まっていた箇所にステントを通し、固まりも可能な限り改修した事で、血液が心臓の下部まで流れることが 確認できました。
成功です。
主治医に何度も何度も頭を下げてお礼を言いました。
とても丁寧な説明と対応で、ここまで人の為にやってくれる「医師」というのが本当に素晴らしい仕事だというのが実感出来ました。
お母さんは6時間以上も血管の中に管を入れられたにも関わらず、意識もハッキリしていました。よく頑張りました。
しかし、HCUに戻ってからも、急激な低血圧(上が80)と、迷走神経反射が起こってしまい、1時間程処置が続きました。
やっと面会が出来たのは夜中の3時でした。
お母さんは、「心筋梗塞だってよ」と始めに僕に言ったので、なんだかなあと思いました...。
明らかに疲れた表情でしたが、心無しか顔色も良くなった様な気がします。
まだ油断は出来ない状況ですが、この後1週間程様子を見ます。
待っている間、僕は一度もディズニーランドに行った事が無い事を愚痴ってたお母さんを、未だディズニーランドに連れていってあげられてない事を悔いていました。
だから、良くなったら必ず連れて行ってあげようと思います。
皆さんも、親孝行は今直ぐしてあげて下さい。
※前回はこちら→母親が完全房室ブロックという病気で倒れた話
大元の病気は、心臓にある3本の太い血管のうち、1本が完全に塞がれた状態である心筋梗塞でした。
しかし、処置が無事に成功し、なんとか助かりました。
心臓の下の方まで血液が行かないため、心臓の房と室の鼓動が上手く出来ず、完全房室ブロックという症状がおき、そこからさらに心細細動など危険な症状が起きたのだろうとの事です。
取りあえず容態は安定しましたが、まだ狭くなっている箇所と、取りきれない血管の中に残った固まりが有る様なので、少し様子を見て、また検査を行う予定です。
昨日1/8(火)、仕事中に病院から電話が掛かってきて、筑波大学付属病院にお母さんの事を相談したとろ、心筋梗塞の疑いがあるためすぐに筑波大学付属病院に転院して処置をしたいとの事でした。
会社を早退し、そのままつくばに向かいました。
元々は1/10(木)にどういった処置を行って行くか相談する予定であったため、急の連絡にかなり戸惑いました。
16時頃筑波大学付属病院に到着早々、入院手続きを行い面会をしました。場所はHCU(High Care Unit)と言われる集中治療室で、さらに心配になります。
その後医師から、上記の疑いに対して、心臓カテーテル検査を行い、血管が塞がれていればその都度ステントと呼ばれる金属を埋め込み、血管を広げる対処まで今日中にしてしまいたいと説明を受けました。
心臓カテーテル検査は、腕や太ももの付け根の血管から管を通し、造影剤という液体を流してX線を持って心臓などの血管の状態を確認する検査です(素人ながらの理解で恐縮ですが)。
まれに、心臓カテーテル検査中に、血管の中にある固まりがはがれ、脳に流れれば脳卒中、心臓に流れて詰まれば心筋梗塞をお越し、200人に1人が無くなる検査という説明もありました。
ここで不安がMAXです。しかしやらなければもっと危ない状態ですので、もちろん了承します。
心臓カテーテル検査が始まったのは18時です。めまぐるしく少し疲れましたが、お母さんはもっと頑張っていました。
僕が待っていた部屋は、HCU患者の家族専用の控え室で、椅子が並んでいるほか何も無い所です。個室なのが唯一助かりました。
まず、妹と姉に電話し、「もしかしたらお母さん、今日死んじゃうかもしれないから、覚悟していてね」と伝えました。「死んじゃう」という事は承知していたのですが、改めて言葉に出すと、涙がこらえきれませんでした。
20時頃、処置室に呼ばれました。まさにドラマで見る様な場所でした。
心臓の血管1本が完全に塞がっている映像を見せられました。心筋梗塞の様を実際に映像で見ると、とても怖くなります。
心筋梗塞は発病してから24時間以内に処置しないと危ないと言われており、1月3日頃から症状があった様なので既に1週間程経っています。なので、処置が成功するかは保証出来ないとのことでした。
とにかく処置する必要が有るため、2時間程待っていて欲しいとの事で、控え室に戻ります。
晩ご飯を食べていなかった為、1階にあるタリーズコーヒーでホッドドックを食べたのですが、まさかその後夜中まで掛かるとは思っておらず、売店も閉まった夜中の病院で空腹との戦いでした。
後で知ったのですが、別の場所に軽食自販機があったみたいですね。筑波大学付属病院は広すぎて迷子になります...。
次に呼ばれたのは夜中の1時頃でした。
看護師さんに「処置が終わったので、一緒にお母さんを迎えに行きましょう」と言われました。
成功したのかしなかったのか、この時点では怖くて聴く事が出来ませんでした。
結果、詰まっていた箇所にステントを通し、固まりも可能な限り改修した事で、血液が心臓の下部まで流れることが 確認できました。
成功です。
主治医に何度も何度も頭を下げてお礼を言いました。
とても丁寧な説明と対応で、ここまで人の為にやってくれる「医師」というのが本当に素晴らしい仕事だというのが実感出来ました。
お母さんは6時間以上も血管の中に管を入れられたにも関わらず、意識もハッキリしていました。よく頑張りました。
しかし、HCUに戻ってからも、急激な低血圧(上が80)と、迷走神経反射が起こってしまい、1時間程処置が続きました。
やっと面会が出来たのは夜中の3時でした。
お母さんは、「心筋梗塞だってよ」と始めに僕に言ったので、なんだかなあと思いました...。
明らかに疲れた表情でしたが、心無しか顔色も良くなった様な気がします。
まだ油断は出来ない状況ですが、この後1週間程様子を見ます。
待っている間、僕は一度もディズニーランドに行った事が無い事を愚痴ってたお母さんを、未だディズニーランドに連れていってあげられてない事を悔いていました。
だから、良くなったら必ず連れて行ってあげようと思います。
皆さんも、親孝行は今直ぐしてあげて下さい。