the industrial

ブログと言うより自分のためのメモ以外の何モノでもないです。でも読んでくださってありがとうございます。

俺のダメ親父

jp.stanby.com

この記事読んでて、フランスに住んでみたいな〜なんて思った。特にパリの5区か6区あたりに住んでみたい。

フランスといえば僕の中で思い浮かべるのはリュック・ベッソンと俺のダメ親父。親父の何がダメなのかはここで書けるようなことじゃないんだけど、まあダメ親父だ。

親父

親父はとにかく人間嫌いな人間だった。

家に居てもテレビを見ているかゲームしているだけで、家族(俺や兄弟や母親)との会話なんて皆無。

親父の友達と呼べる人も1人くらいしか俺は知らない。

親族にさえなかなか近づかない人間。

そして、冒頭に書いたダメな部分が本当にダメな人間なので、俺は親父のことを尊敬することは一生ない。

ただし、すべてがダメなのかというとそうでも無く、たぶん俺よりもすごいところが沢山ある。

先生と喧嘩して高校退学したのがすごい

これはすごいというよりはダメな部分なのかもしれないけど、なんか聞いた時笑ってしまったんだよね。

退学になるまで先生と喧嘩するって、もうダメ人間の極みなんじゃないかと。

でも、そこがなんだかロックな生き方ですごい。

国道一号線を下り、船で韓国へ渡り、人の幸せに貢献したのがすごい

高校を退学になった親父は、家系で代々やっている新興宗教関係(別に危なくないやつ)の仕事をしていたそうで、当時の知り合いに、”韓国の山奥で暮らしているということしか居場所がわからない家族に会いたがっている”方がいて、どうにかして家族に会わせてあげたいと思ったらしい。

インターネットなんてものも無い時代、ポンコツ車で国道一号線を下り、船で海をわたって韓国に行き、地図と地名と氏名だけを頼りに山奥を歩きまわって一緒に探してあげたんだとか。

そしてなんとか家族を見つけて再会させることに成功したのは本当にすごい。

まあ、この話自体、酔っ払いながら話してたのでだいぶ脚色もあると思うんだけど、その知り合いも家族も、顔の穴という穴から涙や鼻水を出して、泣いて再会を喜んだんだとか。

そんな、人の人生に幸福をもたらしちゃうのがすごい。

40年間、無事故無違反のトラック野郎だったのがすごい

俺が免許取りたての時、MTのSKYLINEに乗って下道(246号線)で静岡まで行ったことがあって、結局到着するまでの8時間ぶっ続けでシフトレバーとクラッチを操作し倒して、1日ですごく運転が上達した覚えがある。

そんな感じだったかは定かではないのだけど、国道一号線を制覇した時に思ったのか、人間嫌いがそうさせたのか、韓国への大冒険後から父親が40年間続けた仕事は長距離トラックの運転手。

無事故無違反で引退したのは、さすがにすごいとしか言いようがない。

首都高の覆面パトカーにさえ顔を覚えられているほどの優良ドライバーだったらしい。

酔っ払った親父の長い長ーーーい話で一番おもしろいのが、この仕事にまつわる話。

高速道路で右ウィンカーを出す意味とか、ドラック野郎たちは無線アンテナでコミュニティーを作るとか、無線アンテナから火花とか、無線アンテナが強すぎて通りかかった電気屋のエアコンが勝手に作動するとか、普通の人が知るよしも無い面白い話がたくさん聞けたのは良い思い出。

東京から大阪まで荷物を運び終わり、帰りは空のトラックを走らせるのがもったいないとのことで、こっそりと他社の荷物を東京に運んでお小遣い稼ぎをしたりもしていたらしい。

確かに。カラッポのトラック走らせて無駄にガソリン消費するよりは、全く無駄のない仕事。

俺兄弟、母親に対する態度も無駄を省くためだったのかね。

何故か趣味の英語がすごい

およそ日本のトラック野郎には無縁?のスキルの一つが英会話だと思うんだけど、親父は昔から英語が趣味だった。

長距離トラックの運転手は、俺の親父の場合だと家に帰ってくるのが週に2〜3日とかで、親父が英語を扱えるのは母親も結婚してしばらくするまで知らなかったらしい。

どうやって英語の勉強をしたか聞いたことがあるのだけど、若い時に英語だけで生活する合宿によく行っていたそうで、そういう時の帰り道の電車の中では決まって「周りの人の日本語がわからない」ってなっていたんだとか。

やっぱりそのくらい日常でも英語漬けにしないと、ネイティブに話せる様にはなれないのかしらね。

これも酔っ払った時に聞いた話なのでどこまでが本当かわからないのだけど、映画:マトリックスを英語音声字幕なしで観ていたので、英語が扱えるのは本当なんだろうと思う。

フランス人の親友がいたことがすごい

やっと冒頭の記事に戻るんだけど、トラック野郎になる前に友達がなかなか出来ないのかずっと一人で居るフランスから来た黒人の人がいたらしい。孤独を愛するが故に孤独な人の気持がわかるのか、自ら声をかけてあげたんだね。

思ったとおりで、一人で日本に来てから周りになかなか馴染めずにいたその黒人さんと、意気投合するまでそんなに時間を要さなかったそうな。

あるときフランスに行ってみたいということになって、お金をためてフランスに行き、二人で国中をヒッチハイクで回ったんだって。

その時、英語力を活かしてフランス語を習得したそうで、妹が酔っ払った親父と電話している時、ずっとフランス語だったそうな。

子供5人を食わせてたのがすごい

バブル時代だったってのもあるんだろうね。

トラックの運転で相当稼いでたらしく、しょっちゅう車を買い替えては、高いワインを買ったり(多分フランスが好きだから?)。

そして俺の兄弟は5人居て、全員を学校に行かせて、食わせて、専業主婦だった母親と併せて養っていたのがすごい。

今は引きこもってずっとグランド・セフト・オートドラゴンクエスト9を(いまだに)やってるらしいwww

アホだよなあ〜。すごいよなあ〜。

なんか行動力あるのか無いのかわからないんだけど、聞いた話だけで言うと、何故そういう行動力をもっと俺たち兄弟に見せてくれなかったのか。

やっぱりダメ親父だ。

すごい。