ホアキン・フェニックスと故フィリップ・シーモア・ホフマン主演。
映画のタイトルはなんとなく知ってて、どれ観ようかなーって思ったときに目についたので鑑賞。
なんだか映画の雰囲気がゼア・ウィル・ビー・ブラッドに似ているなあと思ったら、監督(ポール・トーマス・アンダーソン)一緒かと。そりゃそうだw
フィリップ・シーモア・ホフマンはカポーティーですごく好きになった俳優さんで、昨年2月に死去。気持ち悪いくらいの演技が独特で、それがなんか魅力で、本当に惜しい人を亡くしたもの。その気持ち悪いくらいの演技ってやっぱ死因にもなった薬物中毒だったからかな。
ホアキン・フェニックスは、今40歳だから役作りなんだろうけど、ガリガリのおじいさんみたいで年取ったなあと。逆にフィリップ・シーモア・ホフマンはふくよかな男性で、こちらも役作りかな。もう敬意だね。
終戦後、いろんな依存症であるフレディー(ホアキン・フェニックス)が、新興宗教団体で”マスター”と呼ばれるランカスター・トッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)に出会い、傾倒していく様を描く作品。
マスターはプロセッシングという技で人々から過去の記憶を呼び覚まし、恐怖に打ち勝つ方法で支持を集めており、フレディーも初めは半信半疑だったが、次第にマスターに入れ込んで行くんだよね。
マスターが馬鹿にされると、馬鹿にした人をボコボコにしたりw マスターも流石にそれはやりすぎだと感じていたけど、そんなフレディーに絶大な信頼を置くようになっていく。
だけど
フレディーは次第にマスターの言葉などに疑問をもつようになって...
映画自体は非常に難解だと思った。
人が考えている事なんて人それぞれで勝手だし、そんな中分かち合える、共感できる所に信頼というものが生まれるんだろうし、それは当事者以外の他人に理解される事じゃないんだろうなと。この映画の様に難解なんだろうなと。
だから、この映画が難解で、それで良いんだと思った。
そんで、ゼア・ウィルビー・ブラッドの様な、観終わったあとどこか遠くへ行って帰って来たような間隔が味わえて、ポール・トーマス・アンダーソン監督ってすごいんだなって改めて思った。