ラブリー・ボーン
ずーっと前に観たいと思って忘れていた映画。
マーク・ウォールバーグ出てたんだったね。だから観たいと思ったのか。
鑑賞するにはとても勇気が必要な映画だった。
なぜなら題材が「殺された14歳の少女スージーと、家族の絆」だから。
もうね、冒頭から「何年何月何日に私は殺された」とかで入ってきて、主人公の女の子が殺されるのが分かってるんだよね。
これほど辛い映画ってそうそうないんじゃないかと。
犯人役の人はTFロストエイジに出てた人だったんだ。
かなり犯罪者っぽくて、役がらとしてはぴったり?失礼な言い方ではなく、役者としてすごいって事w
スージー役のシアーシャ・ローナンは、この前観たグランド・ブダペスト・ホテルでも出てて、借ぐらしのアリエッティーの吹き替えもやってるんやねー。
マーク・ウォールバーグはお父さん役。
スージーと一緒にボトルシップを作るのが趣味だったりして、本当に愛のあるお父さんなんだけど、そりゃー娘が死んだら居たたまれないわなー、沢山あるボトルシップをめちゃくちゃに壊したり、そりゃー荒れるわなーという演技がすごい。
そしてスージーと一緒に作ったボトルシップはどうしても壊せない。
さて、この映画を観る前は、犯人を捕まえる為にあの手この手であの世から家族にヒントを出すとかそういう話だと思ってたんだけど、ちょっと違ってた。
本当にあの世なんてものがあるのかはさておき、あの世で死んだ人間が思い出とか、後悔とかを抱きながら、現世に残る家族や友人や恋人を想うという話かな。
スージーは恋をしていたんだけど、デート前に殺されてしまい、ファーストキスもまだなんだけど、現世に居る妹がファーストキッスをして、それを見て、嬉しい半面、自分も好きな人とキスしてみたかったとか。
あるいは、妹としてはお姉ちゃんは死んでしまったけど、自分は自分の幸せをつかむために過去にとらわれず生きていかないといけないとか。
死んだ人間を置いて先に進むと言ったらちょっとヒドイ言い方かもしれないけど、死んだ人間の為に生きるのではなく、死んだ人間の分まで生きるという辛さ、俺自身も経験あるから、妹がファーストキスをしたところで自然と涙が出て来た。
この映画のもうひとつの見どころが、”あの世”の描き方。
スージーが自分の死を理解する辺りは恐怖で描かれていて、それこそちょっとサイレントヒルの様な感じなんだけど、前に進むために過ごす場所は、それはそれは幻想的で、現世の思い出を映したり、シーンごとに昼→夜と移り変わったり、それってなんでこういう表現なんだろうと思ったのは、やっぱりスージーの心情がそうやって表れているのかね。
ラストの終わり方は決してハッピーエンドじゃないく(主人公が既に殺されているから当たり前だけど)、ちょっと苦い終わり方。
それがまた、世の中うまくいくことなんて稀だし、人生そのものみたいで、良かった。